【小説投稿】 東北大学@homeのブログ小説1 「道」

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 今日もサボり記事です。昨日に引き継づき趣味投稿です。
  東北大学@homeのブログ小説1 タイトルは「道」です。こちらは、東北大学文芸部が学祭で配布した部誌に私が寄稿したものになります。

「道」

 これは僕が、大学生の夏休みに、ある奇妙な道で体験した珍しい出来事の記録である。
僕は中学二年生の中頃まで、R町に住んでいた。
 R町は、この国の一番大きな都心部から電車で一時間ほどの距離にあるベッドタウンの、さらにその西端に位置していた。
 町の真ん中に駅と小規模なバスターミナルがあって、その電車の路線と直行するように大通りが走っていた。大通りにはいくつかのスーパーだとかレストランだとか、ファストフード店や居酒屋があったが、その他には、小学校が二つ、中学校が一つ、グラウンドが一つ、公園が五つか六つ、それからコンビニがポツポツとあるくらいで、あとは閑静な住宅街がやや起伏の多いその地を覆っていたのだ。
 僕が住んでいた一軒家も、その数多ある家々の一つであったのだが、その家の裏に小山があった。山といっても、四十分ほど歩けばその周りをぐるりと一周することができ、この地域一帯の地図で見れば、開発されずに残されたシミのような場所だった。実際、その山はほとんどが鬱蒼とした木々で覆われ、標高も低かったため、端から見れば森といっても差し支えない。
 件の道は、この緑のシミの一部をちぎり取るような形で山を囲む住宅の一部と一部を結んでいた。
 この山の北側に一部、斜面を切り崩して平らに整備されたエリアがあって、ベンチと水栓が数基設置された簡素な公園になっていた。その公園の入り口の案内看板に山全体を写した航空写真のようなものが載っていて、—であるからして、一応この山全体が公園の敷地なのだろうが、—僅かな色の差異から、かろうじて道の存在を認識できた。
 しかし、僕がR町に住んでいた頃から誰もこの道を通らなかった。正確に言うと、通ろうとしなかったのである。第一に、この道は車が通れるような広さではなかったし、当時からおそらく誰も手入れしていなかったから散歩道にするにも気味が悪かった。おまけに、この道が結ぶ住宅地の二点は、道の総距離に反して離れておらず、住宅街のなかに格子状に配備された街路でも結ばれていた。つまり、この道は山の中を不必要に迂回しながら、繋ぐ必要のない二地点を繋いでいたのである。
 その年の夏、僕はおよそ半年ぶりに実家に帰省した。
 僕の大学は、国の北部のS市にあり、六年前に引っ越した新しい実家はR町と同じくベットタウンのO町というところにあった。そして、R町はS市とO町を結ぶちょうどその帰路上に位置していたのだ。だから僕は、その年の夏休み、帰省のついでにR町に寄って中学校の同級生と久々に再会する計画をたてていた。
 S市から都心部までは新幹線も走っていたが、若者に共通する経済的な理由から、時間はかかるがバスを使うことを選んだ。それに、僕は昔からときどき、昼間にもふと眠ってしまうことが多かったため、新幹線で降り過ごして、どこか遠くへ連れて行かれても困るとも思った。しかし、バスはその運行便数が圧倒的に少ないから、どうしてもR町に着いてから集合の時刻までに時間が余ることになってしまった。それでも、引っ越し以来R町を訪れたことはなかったから、町を散策することで空き時間を潰すことができるだろうと考えていた。
 バスの中での七時間弱のほとんどは、ダニエルキイスやドストエフスキーの本を読むのに費やした。途中、友人からのメールに目を通したり、うとうとと眠ってしまったりもした。友人からは「この前パチンコで貸したお金を返してほしい」という旨のメッセージが届いていたが、僕はお金を借りるどころか、パチンコを打ちに行った記憶もないので「人違いではないか」と返信しておいた。
 僕はR町の中心のR駅の改札を抜けると、早速駅の周辺から見物し始めた。とはいえ、夏の昼下がり、しかも日差しも強かったので、まず僕は駅のすぐそばにあるコンビニに立ち寄って、飲み物を買うことにした。商品棚の配置が変わっていたが、店内の奥の方に「今ならもう一本ついてくる」と、キャンペーン商品のぶどうジュースの広告が掲げられていたので、すぐにそこがお目当ての陳列棚であると分かった。でも、結局僕はオレンジジュースを買った。
 ジュースに口をつけつつ、僕は大通り沿いに歩き始めた。町の景観に注意しながら歩いていると、たった六年といえども、案外その変容はよく感じ取れるもので、例えば、バスターミナルのそばの空きテナントに新しく学習塾ができていたり、かつてファストフード店があったところがお洒落なカフェになっていたりした。また、しばらく歩くと店内が暗くなったレストランが見えてきて、入り口のドアに「閉業しました」と書かれた貼紙があった。
 あらまし大通りを見て回った後は、東に向かって住宅地の中を歩いたりしていたのだが、いくつか公園を通って、その度に、小学生のころ近所の家の友達と遊んだことを思い出した。僕は小学校低学年のころに頻繁に外に出かけて遊んでいた覚えはないが、四年生になってからは同じクラスだった一輝君に誘われてよく公園に行っていた気がする。僕と一輝君が通っていたのは西小学校だったが、町の真ん中にある公園では、ときどき東小学校の生徒も来ていて一緒に遊んでいた。
 昔のことを思い出したせいか、僕はかつての実家はどうなっているのだろうかと考えた。引っ越しのとき僕ら家族はこのR町の一軒家を売り渡しており、今は別の家族が住んでいる。新しい住人の名前はきいていたのだが、会ったことも話したこともなかったので、外壁の塗装や軒先の植木が変わっているか見てみたくなった。
 何箇所目かの公園を出たあと、引き返すように、ただし、町を散策するのが目的であったから、先ほどとは別の道を通って、町の西側に向かって歩き出した。
 目的の場所へ向かう途中、またしても、照明の消えたレストランを見つけた。昨今の不景気のせいだろうか、やはり入り口には「閉業しました」とある。僕はこんなところにレストランなんてあっただろうかと思い、もしかして僕がいない六年の間に開業して閉業したのかとも考えたが、貼紙には小さい文字で、「開店以来、十五年間たくさんのお客様にご愛顧いただき、誠にありがとうございました。」と書いてあった。
 小学校などを通り過ぎながら十分ほど歩いたのち、僕はいよいよ、かつての我が家にもっとも近い交差点にたどり着いた。信号待ちをしているとき、緑から黄色、赤へと変わるその信号のレンズのフードの裏側に、年季の入った蛍光看板のような、薄汚れたまぶしさを放つ雲が浮いているのが見えた。
 家の外観はほとんど変わっていなかった。
 軒先の植木はこぎれいに整えられ、玄関前の駐車スペースに空の雲を反射させたブラックの光沢をもったセダンがとまっているのを見て、僕は表札の「HAYASHI」さんがこの家を大切にしていることを知り、安心した。
 あまり長居してじろじろ見ているのも不審になるので、駅の方へ戻ろうとして道路を左へ曲がったそのとき、僕の視界に、例の山と、あの道の入り口が写りこんできたのだ。
 その景色を眼でとらえた僕は異様な感情に苛まれた。視界中央の深緑の無数の羽状の葉と、ねずみ色のひび割れたアスファルト、ターコイズブルーに変色したアルミフェンスに囲まれた暗翳に僕の意識は釘付けになった。まだ日も沈まぬ時刻であったが、入り口から五メートル先の様子も判然としない。道を覆い隠すスギの木々も、見渡せる先々まで群生しているのは窺い知れるが、その幹の輪郭を認識することができるのは手前の十数本程度であり、あとは暗々と闇が立ちこめるばかりである。しかし、この底気味悪い道の入り口はある種の魅力をもっていて、僕は抗いがたい力によって、今にもそこへ吸い込まれそうになったのである。スギで装飾された山全体はテーマパークのお化け屋敷のようであり、風で揺れる茎がそれぞれ四、五枚の葉を上下させ、手招きしているようにも見えた。次第に僕はこの道を歩いてみないことには帰れないというような義務感に襲われ、とうとう斜めに伸びた自分の影がスギの木の影に重なるか重ならないかの一歩手前まで来てしまったのである。
 R町に住んでいた頃も、この道の存在は知っていた。しかし、はじめに紹介したとおり、日常生活においてこの道を使うべき機会など一度もおとずれなかった。だから、僕も、僕の家族も、また近隣の住人たちも皆、この道の存在を無意識のうちに思考の対象から除外していた。そのため、僕もこの道路を曲がるまですっかり忘れてしまっていたし、だからこそ同時に、このような徒ならぬ幻惑的な魅力によって、未だかつてないほどに僕の脳内が占領されてしまったことが恐ろしくもあった。
 数秒のためらいがあったが、僕はゆっくりと山道に足を踏み入れていった。山内はやけに涼しい。先ほどまで歩いていた車道とは気温が二度も三度も違う気がする。木の陰になっているからだろうかと上を見上げると、三、四階建ての建物と同じくらいの高さはあろうかという木々の葉が幾重にも連なって裏面をこちらに向けている。上空から降り注ぐ光は、まず上部の葉が我が物顔に独占し、こぼれ落ちた一部を次の層、また次の層が横取りしていく。そうして、僕の背丈のところにまで届いて、地面の色彩を教えてくれる光は実に心もとない。さらに、小さな楕円形の葉陰の数々から覗く空模様は、この町に着いたときのそれに比べて幾分雲が増しているように見える。地面は、道に入ってすぐに、アスファルトから天然の褐色土に変わり、足下には小枝や、枯れた木の葉が散らばり歩きづらい。長い間、ほとんど人の手足が入っていないことが分かる。もとより近隣は車通りの少ない住宅街であるから、人の気配こそないのだが、諸処でコオロギやカラスの鳴き声がきこえていて、そよ風まで吹けば、何というか山そのものの鼓動が伝わってくるかんじである。
 道は細かくくねくねと曲がっていて、せいぜいテニスコートの横幅ほどにも満たないかどうかという距離ごとに、進む向きがほぼ逆方向に転換する。すなわち、僕は、さして勾配の大きくないこの山肌を右に左に、揺さぶられるように登っていったのである。
 何度目かの折り返しにさしかかったときに、およそ深緑と焦げ茶のみで構成されていた世界の中に、ひときわ目立った紅色の細長い棒状の何かを発見した。歩みを進め、道に沿って体の向きを回転させるにつれ、その全像が詳らかになった。
 それは、小さな祠であった。鳥居はないが、ダイニングテーブル大の台座の上に四本の柱を軸にした簡素な内陣で、正面の御扉の中央には金色の花模様がついている。屋根はところどころに土色が混じっているが、もとは朱色を基調に塗装されていたのだろう。今しがた見えた紅色は、陰でトーンを落としたこの祠の屋根の色であるのだと理解した。
 この祠がまた、入り口で感じたかの魅力と同種類の何かを持っていて、見れば見るほど、それに囚われて正常に思考できなくなっていく。またしても自分の行動が強制されるような気がして、それでもじっと目を離さずに側面の木材の模様をみつめていると、つんと頭部をつついて揺さぶられるように感じた。
 そのとき、僕は突然思い出したのだ。いや、正確には想像した。それは、自分の頭の奥底から引っ張り出したというよりも、ふわふわと空中に浮いていた何かが不意に自分の体に入ってきたというような感覚だった。とにかく僕の中に、たくさんのイメージが出現した。それは、確かに僕に関する記憶のようだったが、どうも自分事には感じられなかった。

   *

 その記憶はこんなふうであった。
 僕は小学校に入学して、一番はじめにちーちゃんと仲良くなった。本名はどうやら千夏だったようだ。ちーちゃんと僕は、はじめのころ学校の席順が隣同士だった。それにちーちゃんはかの旧家の近所に住んでいたから、僕たちは毎日、一緒に下校していたのだ。二年生、三年生と進級しても僕たちは相変わらず仲良しで、ちーちゃんは母子家庭で兄弟もいなかったようだから、寂しかったのだろうか、頻繁に僕を遊びに誘い出していた。
 僕たちは、何度も公園のブランコをこいで遊んだ。
 「高いところが怖いの?」
 隣で、僕よりも大きな弧を描きながら、ちーちゃんはよく僕をからかった。
 ある夏の日には、僕とちーちゃんの両家族は川に釣りをしに行った。ちーちゃんは僕より才があって、二匹くらい釣り上げたが、僕のほうは一匹も捕まえられなかった。ちーちゃんが自分の手柄を僕にみせつけて自慢するものだから、僕が触らせてほしいとねだると、彼女は嫌だと意地悪を言って僕から逃げた。僕は必死に追いかけたのだけれど、当時はまだちーちゃんのほうが足が速かったから敵わなかった。反面、釣った魚を焼いて食べるときには、ちーちゃんは優しさを見せて、一匹の半分を僕に譲ってくれた。
 またあるときには、ちーちゃんはどこからか長い縄を持ってきて、僕らは一方を太い木に結びつけ、もう一方を一人が回して縄跳びをして遊んだ。

   *

 今、この場所で、どうしてこんなイメージが生じたのか分からない。と思ったら、今度は逆に、これらがとても重要な僕の体験の一部のように思えてきて、むしろ何故今の今までちーちゃんのことを忘れてしまっていたのだろうという気にもなった。一方では、全く他人事のような記憶でありながら、もう一方ではちーちゃんが僕にとって非常に意味のある人物に思えた。自分の中で矛盾した二つの感覚がぶつかり合うような奇怪な精神状態になって、先ほどまでとは違った種類の恐怖に苛まれた。
 僕は再び外界の景色に意識を戻した。
 相変わらず、道を取り囲む樹林は、茫漠たる大空との間に遮光板のような分厚いベールを張り、微かに風が吹き僕の横髪を揺らしたかと思うと、葉をすりあわせて物々しいどよめきを引き起こしている。
 徐々に天球のキャンパスから水色を奪っていくどんよりとした雲の動きと、人々からの畏敬の対象から外れて久しいながらも内在的な威厳だけは失わずにいる祠の風格に、現実の自分の人体から意識だけが乖離していくように感じて、唖然としていると、

ずーズー

と、僕の服が振動した。僕は肝を冷やして、後ろに倒れ込みそうになった。
 「勘違いじゃない。」
 「『俺の台は設定がいいから』って言ってせびったの忘れたのか」
 バスのときのパチンコの件の返信メッセージだった。びっくりしすぎて、しばらく心臓の高鳴りが落ち着かなかったが、何者かが背後から襲ってきたりした訳ではないと分かって安堵した。メッセージの内容も気になったが、画面に表示された「16:53」の文字を見て、返信は後にして、先を急ぐことにした。
 僕は、やや勇み足になって山道を登り続けた。何故引き返さずに、奥に進み続けたのかときかれても上手く説明できないのだが、とにかく僕はこのとき、高速道路を車で走っているときのように、来た道を逆行して戻ることなど当然のように不可能だと思い込んでいたのである。
 さらに五分ばかり歩くと、さすがにこの道も蛇のように波線を描くことに飽きてしまったようで、傘の柄の部分のような急カーブはなくなって、代わりに見通しのいい直線上の道になった。そうはいっても、夕刻以後には微光も差し込まぬ陰の中であろう両脇の林間からは、得体のしれない怪物が出没しても不思議でないという不気味さである。
 いよいよ、その直線の突き当たりまでやってきたとき、折れ線状になっていると思っていたその場所が、Y字型に分岐していることに気がついた。ただ、片方は数十歩先が明らかな行き止まりになっているので、迷いはしない。
 しかし、この行き止まりである方の、そのまさに突き当たりに妙に目立っている大樹があった。やはりスギの木であるようだが、その体幹は周囲のそれらより一回り大きい。それに比して最大で人体ほどの太さがあろうかというその根は、一部土を盛り返しながら力強く地面を這っている。地面も地面で、わざわざこの一本のために円形の区画を割り当てたかのような境界があり、他の木との間に一定の間隔を生じさせているのである。
 僕はこの大樹を見るのが初めてではないような気がした。
 やはりというべきか、この木もまた不思議な魅力をもっていたのである。
 そして僕はまた、軽い目眩を感じて、ちーちゃんに関する断片的な記憶を思い出した。—このときには、はっきりと自分の記憶だと思えた。

   *

 小学校三度目の夏休みの終わり頃、夕方に僕とちーちゃんは公園のベンチに座っていた。彼女はひどく疲れた様子で、僕の隣に腰掛けていた。僕たちは何を話すでもなく、ただぼんやりと茜色の空や、逆光で縁取られた向かいの家々の輪郭を見て、感傷に浸っていた。そうして何に集中するでもなく景色を眺めていると、季節の移ろいに合わせた本来は連続的な変化がいっぺんに押し寄せてくるようにして、気温の低下や日照時間の減少などに気づくものである。ときには、日常の中に潜む一時的な法則のようなものが消失していく感覚にもなる。そのときにも、夏休みだけでなくて、普段の生活を密かに支えていた縁の下の土壌のようなものまで、あらかじめ決められた終焉に向かって流れ去っていくように感じられた。そして、ちーちゃんも同じことを感じているだろうと思った。
 ふっと、自分の肩に何か落ちてきたような気がして横を見ると、ちーちゃんが僕の方にもたれかかるような格好で眠っていた。
 ちーちゃんの寝顔は哀愁漂うようなかんじであったのだが、しばらく見ていると、段々としかつめらしい表情になったかと思うと今度は全体が強ばっていき、しまいには、その噤んだ唇の裏で歯を強く噛み、瞑った瞼の裏側からこちらを凝視しているような幻影が見えて、僕は思わずぎょっとして体をそらした。すると、僕に体重を預けていた彼女もぐたっと倒れ込み、うっすらと瞼を開け眠そうな顔でこちらにのぞき込んできたので、僕は首をすくめた。あとから振り返っても、そのときの表情はとても恐ろしく、誰かの寝顔をみて慄くなどということは後にも先にもこの一度の他にはなかったと思う。
 夏休みが明けてから一週間ばかりの間、ちーちゃんは学校に来なかった。四日目か五日目の登校日の放課後、僕はちーちゃんの家に赴いたのだが、チャイムを鳴らしてもちーちゃんは出てこなかった。代わりにお母さんが応対して、
 「ごめんね。千夏は今外に出たくないみたいなの。」
 と、それだけ言った。僕は、仕方がないからその日は家に帰って、また日にちを置いてから出直そうと思っていた。
 そして、僕が彼女の家に訪れた次の週の月曜日、僕たちは先生から「大先千夏さんは転校することになった」ことを伝えられた。

   *

 やっとの思いで大樹に固定されていた視線をそらすと、僕はY字の右の肩を上るように、歩き出した。
 その先も幾度か右に折れるように曲がって歩いていくと、やがて周囲が一段と明るくなって、見回すと植生が楢や樫に変わっていた。日が大分傾いて、木々の卵形の葉の黄緑に道の後方から光の筋がさして、点々と橙色の輝きを放っていた。
 一転して明瞭になった山道を、今度は転がるように駆け足になって下っていくと町の北西部の住宅街に出た。いよいよ葉のベールがなくなると、道路のアスファルトや住宅の壁面が日光を反射させたまぶしすぎる白と、影の黒のコントラストになって僕の眼に写った。そうして、南東に向かって街路をジグザグに進み、駅前の新しいカフェで小一時間ほど本の続きを読んで時間を潰し、十八時半に中学の旧友と再会した。
 僕たちは、夜の十時ころまで居酒屋で互いの近況を報告したり、中学のときの思い出話をしたりで盛り上がった。僕がO町に行ってしまったあと、学校では面白おかしな学内事件があったようで、それらの話を聞くのも楽しかった。
 お店を出て解散したあと各々帰路についたのだが、内一人が僕と同じでR町から引っ越していて、ちょうどO町の方向だったから同じ路線の電車に乗った。僕の通っていた中学校には、だいたい三つの小学校の学区の生徒が集まっていたのだが、その彼ももともと僕や一輝君と同じ西小学校の生徒だった。
 電車の中で、彼が出し抜けに小学校の頃の話を振ってきたので、その会話の流れで僕はちーちゃんのことを話した。この瞬間までは、まだ僅かに本当は大先千夏などという人物はいなかったのではないか、僕はあの道を通って頭がおかしくなってしまったのではないか、と疑っていたのだ。
 すると彼は、「あー、あの子か」とおもむろに話し始めた。
 「可哀想だよね。お父さんが自殺して、仕方なく母方の祖父母の家にいったんじゃなかったっけ。お前は一輝と遊んでたイメージあったから、大先さんと仲良かったのは知らなかったけど、確かに思い出すと、お前、ちょうど大先さんが転校したときだっけか、小三の秋学期のころ、様子おかしかったっていうか、ちょっと人が変わっちゃったみたいになってたよな。それもしばらくしたら直ってたけど。」
 僕は黙って聞いていた。自分の頭の中で混乱していた。
 「あ、わりぃ。俺、ここだから。じゃ、また今度機会があれば。」
 そう言って、彼は電車を降りていった。僕は、思い出したように、
 「おう、また今度。」
 とだけ返事をして、彼の後ろ姿を見遣った。
 僕はその帰り道、はっきりと思い出したのである。
 彼の言うとおり、ちーちゃんにはお父さんがいた。もとは母子家庭ではなかった。それどころか、僕は当時よくちーちゃんの家に遊びに行っては、お父さんに可愛がってもらっていたのだ。僕がちーちゃんとリビングで遊んでいると、お父さんはいつもぶどうジュースをいれたコップを二杯持ってきてくれた。町の東にあった、十五年の営業に幕を閉じたあのレストランも、小さい頃何度も僕の家族と大先さん一家で食べに行っていた場所だ。
 そしてあの日、公園のベンチでちーちゃんの寝顔を見たあの日、二人で公園に行く直前、僕たちは通っていたのだ、あの道を。そして、そこで見たのだ。

ちーちゃんのお父さんが、首に縄を巻いて、スギの木の大樹にぶら下がっているところを。

解離症:
 意識や記憶などを統合する能力に障害が生じる精神病。主に幼少期の虐待や、愛する人との死別などショッキングな事件や自然災害が原因となって引き起こされる。抱えきれない程のストレスやトラウマを抱えたときの、人間の一種の防衛本能によるものだと考えられている。解離症は四種類に大別される。自分の意識が自分自身や現実から切り離されているように感じる離人症または現実感消失症、重要な個人情報や一定期間内の記憶を思い出すことができなくなる解離性健忘及び、記憶の喪失にともない家庭や職場から突然姿を消してしまう解離性遁走、自己意識が断片化され自身の中に二つあるいは複数の人格が併存する状態となる解離性同一性障害(いわゆる多重人格)の四つである。離人感や非現実感の程度、記憶を忘れる期間やその内容、併存する人格の数や種類は個人差が大きく、それぞれ、個々のケースに応じてカウンセリングや行動療法、催眠療法、薬物療法などの治療法がある。
 当作品では、主に解離性健忘に焦点をあてたが、関連した物事に触れることで記憶を思い出すかどうかについては医学的な根拠はなく、また、このようにして記憶を思い出したとしても、極度のストレスをもたらしたり想起した記憶が誤っていたりする可能性もあるので、ご注意いただきたい。

 今後気が向いたら曲や短編小説なんかを投稿していきたいと思っています。また、自分の曲を投稿してみたい、自分の書いた小説を投稿してみたいと思っている東北大生の方がいましたら、ぜひ、@homeにご連絡ください。我々のサークル@homeのまともな活動報告記事はこちらなどお読みください。

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